たまには自分の事も…


このダイアリーを読み返して気づいた事であるが、この頃自分の日常をまったく書いていなかった。
日々父親を介護する日々が続き、日常にあまり変化がないのも一つかもしれない。

毎日考える事といえば父親の食事の事と健康の事であり、自分自身の事は二の次、三の次である。
実家の鳥取に母を残していて、本当ならば子供である私が実家を継ぐ立場*1なのだが、父親が一人で生活できないと我侭を言っているので仕方なく大阪にとどまっている。


そもそも父は私が小学1年生の夏に兄弟三人を施設(孤児院)に放り込んだ人である。 その数年前に母が私たち兄弟を捨てて失踪したのが主な原因だろうが、失踪の原因を作ったのは、父のギャンブルと飲酒であった。


1年後母に引き取られて鳥取に移り住み、その後父母は離婚し私は母の戸籍に移った。
母には専門学校まで行かせてもらって感謝してもしきれない気持ちである。
一昨年兄二人が相次いで亡くなり、実年齢より若く見られていた母もめっきり老けてしまった。
できれば、母のそばにいて親孝行の真似事でもできればいいと思っているのだが、それさえもできない。


父は病気で倒れる前は毎晩酒を浴びるほど飲み、自分の考えが通らなければ誰彼かまわず文句を付ける最低な男だった。 現に子供である私が意見した時も言う事を聞かず喧嘩になったほどである。

父と喧嘩をした後、私は一人暮らしを始め父と接触を絶ったのであるが、その後一緒に父と住んでいた長兄が自殺を図った事により、面倒を見る羽目になった。

今では激しい気性も収まりだだの老人になったが、すぐに人を頼る癖は全く直らず、私に無理難題を毎日言ってくる様になった。


先日は朝まで一人で飲んでいて、朝の6時に携帯を見ると4時に家からの着信履歴が入っていた。
急いで家に帰ると父はテレビを見ていた。
そこで私が電話の件を尋ねた。

  • 私:朝の4時に何で電話なんかしてきたの? 倒れたかと思って心配したじゃないか?
  • 父:時代劇を見ようと思ったら*2、リモコンの変な処を押してしまって見れなくなった。 だから電話した (当然といった顔で)
  • 私:時間は見たの? 朝の4時にそんな事で電話するなんて非常識でしょ?
  • 父:だってわからなかったから…

私は情けなくなって、テレビをケーブルテレビのチャンネルに替えてそのまま黙ってしまった。
この人には「ココロがないんだなぁ」と改めてわかった瞬間であった。
一時が万事この調子である。 この頃は父に対して怒る気力が失せてきている。


もうすぐお盆になる。 今年も墓参りに帰りたいが、現状では大阪にとどまり父の世話をする事になるだろう。
そうでなければ、日帰りで鳥取まで帰ろうと考えている。

*1:兄二人は一昨年の3月と5月に相次いで亡くなった

*2:ケーブルテレビの時代劇専門チャンネル